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【新春特別企画】大学教員になるはずが一転、メガネ店の社長に(澤田泰行社長インタビュー①)

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メガネのことやメガネ店のことを、少しでも身近に感じていただきたい。悩みを気軽にご相談いただいて、1人でも多くの方に快適な毎日を送っていただきたい。

そんな想いで始めた、アイメガネスタッフのインタビュー。

 

今回は、2019年最初の特別企画として、アイメガネを運営するアイジャパン株式会社 澤田泰行社長のインタビューを2回に分けてお届けします。

 

代表取締役 兼 社長執行役員 澤田泰行氏

 

澤田社長は、先代であるお父様の跡を継いで、2007年にアイジャパン株式会社の代表取締役社長に就任。

今回は、ご自身のメガネのお話、社長になるまでの経歴のお話、先代のエピソード、そして「社長秘書」とのツーショット(!)まで、澤田社長のお人柄が伝わる内容をお届けします。

 

こだわりポイントは?澤田社長のメガネコレクション

―今日は澤田社長にお使いのメガネをお持ちいただいたのですが…シャープでかっこいいメガネが多いですね!

青いフレームは、真正面から見ると普通なんですが、横から見ると青がはっきり見えて、少し派手な感じですね。

赤いのはカブトムシの甲羅みたいじゃないですか?角度によって色が変わって見えるんです。展示会で見かけて、一目で気に入りました。

どれもビジネスシーンでかけたことがあります。少し派手に見えても、メガネ屋の社長なら許されるかなと。

 

―メガネ歴はどのぐらいになりますか?

40年ぐらいですね。中学に入って少ししてからメガネをかけ始めました。学校の黒板が見えなかったからです。

家がメガネ屋ですから、「見えにくい」と伝えたら、「じゃあ作ろう」とアイメガネの店舗に連れていかれました。

 

―メガネを選ぶ際に、何かこだわりはありますか?

メーカーの展示会でピンと来たものを選んだり、誰かがかけていたフレームが良さそうだと思って買ったりするぐらいで、そこまでマニアックな好みはないんです。顔に合っていて、よく見えればいい。

見え方にはこだわります。ただ、私はアイメガネでしかメガネを作ったことはありませんが、見え方で不満を持ったことはないですね。

正直なところ、最近はメガネそのものよりも、メガネを通してどうやってお客様に喜んでいただこうか、どうやったらうちの社員にも喜んでもらえるか…といったことを考えるほうに夢中なんです(笑)。

 

本当は大学の教員になる予定だった

 

―社長に就任されるまでの経歴を教えていただけますか?

1996年に入社しました。入社前は大学院に行っていて、修了後は広島の大学で教員として働く話が進んでいました。

でも、就職する前の年に、父親である先代の具合が悪くなりまして。久しぶりに顔を合わせたときに、明らかに弱った姿を見て、「手伝おうか?」という言葉が出ました。

 

―それまでは、「いつか自分がこの会社を取り仕切るかもしれない」という気持ちはおありだったんですか?

きょうだいの中で男は私だけですから、「もしかしたらやらないといけないのかな」という思いは頭の片隅にありました。ただ、父親から言われることはありませんでしたし、自分から言い出すきっかけもなかったですね。

私は「モラトリアム」といいますか、ずるずると社会に出る時期を先延ばしにしていたんです。

大学を出た後、どんな仕事をしたらよいのかわからなくて、大学院に進学しました。大学院の2年間でもやりたいことが見つからず、会計士の勉強を始めてモラトリアムを延ばしました。でも、先延ばしばかりを考えていましたから、合格しない。

そこで次に考えたのが法律の勉強でした。私はもともと商学部で会計の勉強をしていたのですが、商法や監査を大学院で学んでいたので、会計と法律の混ざった領域に触れていたんです。これを使って法律で大学院に行けば、あと2年延ばせるなと(笑)。

そして、来年いよいよ就職となり、大学の教員の仕事を紹介してもらっていました。父親があのタイミングで病気にならなかったら、法学の教員をしていたはずです。

 

―学んだ内容を伺っていると、モラトリアムが結果的には経営のための勉強のようになっていますね。

会計も法律もやりましたし、学びながら専門学校や短大で教えていたこともあって、経営学なんかもとりあえず勉強しているんです。時間稼ぎをしていたつもりが、経営者の必須科目にあたるところを何年もかけて学んでいた感じですね。

 

―実際にアイジャパンに入社されてからは、どのような業務をされていたのでしょうか?

最初は監査役として入りました。監査役として仕事をすれば会社の中の流れなどを自然に学べるだろう、と先代が考えていたのではないでしょうか。

1年後、取締役という形で携帯電話の事業部長をやることになりました(※現在のアイコミュニケーション株式会社の業務)。ちょうど大きなショルダーフォンから小さな携帯端末に切り替わった頃でしたね。

携帯事業を数年やった後、2004年に常務になり、眼鏡事業部長も兼任することになりました。携帯事業のほうも外れたわけではなく、常務として引き続き見ていましたが、軸足はメガネのほうに移りました。3年ほど常務をやった後、2007年に社長になりました。

 

父親でもある先代は「信念の人」だった

※この日取材させていただいたお部屋は、壁じゅうに感謝状がぎっしり飾られていました。

 

―先代はお父様でいらっしゃいますが、どんな方でしたか?

父は満州の生まれです。戦争が終わった後、5歳ごろに日本に来たので、最初は言葉もわからなかったそうです。

実は私が入社した年に、中国・大連に2店舗出しているんです。

 

―中国に出店したことがあったのですね!

以前日本で成功したビジネスモデルとして、検眼とメガネ販売ができるようにバスを改造して、職場にメガネを売りにいく、というものがありました。この職域販売でメガネがけっこう売れたんです。こういうバスを20台ぐらい作りました。

ところが時代が変わってビジネスモデルも変わり、バスが不要になってしまった。そんなときに、中国にあげたら喜ぶのではないか、と勧められたわけです。そして、先代の生まれ育った満州にあげたらいいのではないか?という意見になり、バスを大連に寄付したのです。

当時の中国は今とはまったく違って、みんな度の合っていないメガネを当たり前にかけていることが多かったようです。日本では使い古したバスでしたが、中国では貴重なもの。現地で国賓のような扱いを受けたんです。それで合弁企業をやろうという話になったようです。

 

―そうだったのですね。経営者としては、先代はどのような方だったのでしょうか?

父は商業高校は出ていますが、大学は中退しています。でも、天才的な嗅覚を持っていましたし、自分の中でロジックを組み立てていく力が優れていました。

「理屈から言ったらこうなるはずだ」「こうでなければおかしい」などと自分で考えて当てを付けた理論が、専門家が検証してもちゃんと成立していた、ということが何度かありました。地頭がものすごく良い人だったのだと思います。0から1を作り出す創業者ってああいう人なんだな、と。

例えば、コンタクトレンズをメガネ店で扱えなかった時代がありました。「コンタクトは医者の処方箋をちゃんともらってから買わなければならない」ということになっていたからです。

でも先代は、関連法案を事細かに分析し、メガネ店がコンタクトを扱っても問題が生じないことを突き止めたんです。

先代は信念の人で、最終的には自分自身でリスクを取りながら常に商売をしていました。この件もオペレーションを1つ1つ積み上げて、「ありえない」と思われていたことを信念に基づいて実現した。「アイメガネだけがコンタクトを扱えるのはなぜか?」と業界の中で「七不思議」と言われていた話です。

 

―今では当たり前のようにメガネ店でもコンタクトレンズが扱えますが、先代が信念で勝ち取ったものだったんですね。

 

まとめ:社長になるのは「運命」だった!?

澤田社長インタビュー、前半をお届けいたしました。

モラトリアム期間にさまざまな勉強をなさって、それが済んだところでちょうどアイジャパンに入社することに…。何もかもが不思議とつながっているような、どこか「運命」を感じるようなお話でした。

 

次回は、澤田社長が社長に就任してからのお話と、アイメガネの未来についてお伺いします。お楽しみに!

 

ちなみに。

 

取材当日は、「社長秘書」のアイちゃんも出社していました。

アイちゃんは2年ほど前、けがをしていたところをアイメガネ本社で保護されたネコなんです。

当時は新聞などでも取り上げられたアイちゃん、現在は澤田社長のお宅で飼われています。

 

「アイにゃん♡」と目じりが下がりまくりの澤田社長です。

 

 

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